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近江今津駅 (江若鉄道) : ミニ英和和英辞書
近江今津駅 (江若鉄道)[おうみいまづえき]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こう, え, ごう]
 【名詞】 1. inlet 2. bay 
: [こん]
 【名詞】 1. this 2. now
: [えき]
 【名詞】 1. station 
: [てつ]
 【名詞】 1. iron 
鉄道 : [てつどう]
 【名詞】 1. railroad 

近江今津駅 (江若鉄道) : ウィキペディア日本語版
近江今津駅 (江若鉄道)[おうみいまづえき]

近江今津駅(おうみいまづえき)は、滋賀県高島郡今津町今津住吉(現在の高島市今津町住吉〔『江若鉄道の思い出』、p.116〕2丁目6番地8)にかつてあった江若鉄道廃駅)。同鉄道の終着駅であった。
高島郡の中心地である今津町に位置し、地域住民はもとより町内にあった滋賀県立今津中学校(現在の滋賀県立高島高等学校)に通う生徒や陸軍の饗庭野演習場(現在の陸上自衛隊饗庭野演習場)へ向かう軍人や兵士など、様々な人が利用する駅であった〔『江若鉄道の思い出』、p.118〕。
駅に設置された駅名標には「おみいまづ」と表記されていた(隣の北饗庭駅の駅名標も同表記)〔〔『ありし日の江若鉄道』大津市歴史博物館企画展図録、2006年、p25および裏表紙掲載の写真による。〕。
== 歴史 ==
その名前の通り近滋賀県)と狭(福井県)とを結ぶべく建設されてきた江若鉄道線であったが、沿線住民が負担に協力した建設資金も枯渇し、当初計画されてきた福井県の三宅村への鉄道による延伸は頓挫することとなった〔。そのため当駅が路線廃止まで同線の終着駅であった。鉄道で果たせなかった当駅から三宅村へ至る路線はのちに自動車(バス)路線が受け継ぎ、1937年(昭和12年)に省営自動車の若江線が開通している〔『江若鉄道の思い出』、p.117〕(現在も西日本ジェイアールバスの路線として存続)。
陸軍の饗庭野演習場があったことから戦中は当駅から兵士が出征していくこともあり、その際には駅のホームや駅前の広場が見送りの場となった〔。また戦前には演習場の一部が饗庭野スキー場として開放されており、鉄道を利用して訪れるスキー客もいた〔『江若鉄道の思い出』、p.115〕。
* 1931年(昭和6年)
 * 1月1日 - 江若鉄道線安曇(のちの安曇川) - 当駅間の延伸開業と同時に開業〔『日本鉄道旅行地図帳』9 関西2、pp.31 - 32
 * 1月16日 - 町内の今津小学校で開通記念式典が挙行される〔
* 1936年(昭和11年)4月28日 - 今津町 - 遠敷郡三宅村(現在の三方上中郡若狭町)間の鉄道免許失効〔「鉄道免許失効」『官報』1936年4月28日 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕
* 1937年(昭和12年)12月21日 - 省営自動車(若江線)若狭熊川 - 近江今津間が開通し、自動車に乗り継いで小浜に行くことができるようになる〔「鉄道省告示第484号」『官報』1937年12月18日 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕
* 1969年(昭和44年)11月1日 - 路線廃止に伴い廃止〔

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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